「美味しい?」
三つ目になる角砂糖を摘まんだラシードが聞いてきた。手元のカップの珈琲を見る。泡一つない澄んだ黒だ。
「美味いんじゃないか」
「そう」
アザムの仕事に間違いがあるはずはない。わざわざ訊くのは彼に失礼じゃないのか。それとも、訊きたくなるくらい美味そうに飲んでいたのか。
「あのさ・・・・・・オレが煎れたって言ったら、どう思う」
どう思う。どう思う? どうもこうもあるのか? 例えば、これをもしベガが煎れてたとしたら。考えるだけで胃がムカムカしてきた。例えば、これをガイルが煎れたとしたら。リュウが、春麗が。コイツが、私のために。
「嬉しい」
ぽちゃん、と大きな音を立てて、角砂糖が落ちた。
ーーー
その昔。とあるホラー映画が大ヒットした。とてつもなく怖い、というより、カップルがきゃあきゃあと叫びながら観るのに丁度良かったから、と言われている。真偽のほどは私には分からない。
そして今。私はラシードと共にホラー映画を観ている。何故?
「怖いけど教え子に勧められたから観なきゃーってルークに泣きつかれてさ。先に怖いシーンの場所だけメモって教えてほしいんだって。オレ観てると集中しちゃうから、旦那は隣で監視しててよ」
以上。
一般家庭ではお目にかかれないサイズのモニターと、明らかに質の良いスピーカー。そこで流すどう贔屓目に見てもB級のホラー映画は、いっそ趣がある。証拠に、さっきから眠くて仕方ない。
横のラシードと言えば、可哀想に感情を失っている。直近のスマフォのメモの内容は「13:37~ネコ・タンス」。成る程。
映画の登場人物達は何故かまた大声で喧嘩をし出した。森の中にゴーストがいるというのにのんきな奴らだ。
ラシードが私の腕の中に滑り込んだ。猫が喉を鳴らすような表情で、もぞもぞと具合の良い場所を探している。
「おい」
「ん、観てる観てる」
「・・・・・・どうだか」
ラシードが落ち着いたタイミングで、少し画面が騒いだ。が、ただ仕掛けた木の枝が折れてるのを大げさに言っているだけだった。暫く、双方動くことはないだろう。
その昔。とあるホラー映画がべらべらべら。
真偽のほどは分からないが、例えつまらない映画だろうと価値がある。何故?
「・・・・・・旦那、くすぐったい」
以上。
ーーー
街を歩いていると、キレイに咲いている花を見つけた。持っていたカメラを向けてみる。画角はどんなのがいいかな。ぐるっと周りを回ってみようか。ズームしても良いかも。ファイトの時みたいに褒めてみたり? うんうん、すっごくゴージャスだよ。なんてね。
「良い感じ」
ほんの二〇秒ほどの動画。SNSに上げるのも良いけど、メッセでナッシュの旦那に送ってみた。普段の動画とは違う特別感を、彼にあげたかったから。
返信が来たのは数分後。バッジは一個。
『声』
ん? と撮ったモノを音有りで再生する。
基本は、街のガヤや鳥のさえずりくらいで、目立った声はない。しかし、動画が終わる直前、その声はあった。ほとんど無意識で言ったであろう、オレの声。
『旦那、好きかな』
衝撃と恥とで思わずその場にしゃがむ。油断した。ネットに上げないヤツだからって確認を怠ってしまった。
嗚呼。我ながら何て甘ったるい声なんだ。こんな、こんなの。
「愛してるって言ってるのと一緒!」
あー、オレの馬鹿!
ーーー
「この前、この人とコラボしたんだけどさあ。オレが上げた動画とほとんど同じ内容なのに、向こうの動画の方が再生数伸びててさ、なーんでだろ」
「内容は同じにしても、お前が相手の良いところを沢山紹介したから、お前の所の視聴者の方が多めに流れただけだろう。相乗効果のあるコラボなんぞ稀ってことだ」
「旦那、オレの動画観てる?」
「観てない」
「ふーん。あー、聞いてよぉ。前に配信してたときにさ、全然関係ない荒らしコメントでコメント欄がもうぐっちゃぐちゃになってさ。大変だったーマジで」
「ああいう類いのは、ただ闇雲に荒らしたいだけだ。律儀に構ってやらんでもいい。いつか痛い目に遭うぞ」
「旦那、オレの動画観てる?」
「観てない」
「ふーん。あ、そういやさ。前に日本に行った時のリュウとのファイト。アップする前に見直してるんだけど、やっぱりあの人って闘いに真っ直ぐだよね。背筋がしゃんとするというか、こういうのが尊敬ってヤツかな? それとも、憧憬?」
「・・・・・・リュウは、リュウ自身が見つけた道を突き進んでいる。お前にだって、お前だけの道が見つかるはずだ。憧れも結構だが、本当にやりたいことを見失うなよ」
「旦那、オレのこと好き?」
「観てない」
「あはは」