※ちゃっかり生きてて多分一緒に住んでる
小皿に盛られたデーツを摘まむ。ぎゅっ、と噛めば、砂糖を煮詰めたような甘さが口に広がった。ソファにゆったり身を預け、小さな幸せをより磨り潰して、飲み込む。その一連の動作を、横に座るナッシュの旦那がじっと見ていた。
今回に限らず、オレが食事中にナッシュが見ていることが最近増えた。朝昼夜、間食まで、時間になるとどこからかぬるっとやって来る。一緒に食べるか、と訊いても遠慮され。なんで見てるか、と訊いても無視され。無視はまあ、いつも通りだとして、相手の食事を見てるだけというのは変な光景だろう。前に様子を見てた使用人から「ペットと、ペットの食事を用心する主人のようでした」と言われた時は、ちょっと笑えないことに笑ってしまった。
昔の旦那はスコッチが好きだったらしい。だけど、今の身体になってからは、全ての味は絶望になり、欲を失ってしまった。オレはその世界を知らないし、知らない上でこう思うのは失礼かもしれないけど、ひとりだけ食べてるっていうのはやっぱり違うと思う。
デーツも残りひとつになった。よく噛んだとしても、ものの数十秒で消えてしまう大きさだ。
旦那の目は変わらずオレを捉えている。この一粒が消えることを期待しているのだろうか。感情は全く読めない。
コレが正真正銘ラストだ。そう思って、最後のデーツを摘まんでナッシュに差し出した。
「・・・・・・いらん」
旦那は一瞥したあと、冷静に短く返した。でも、ラストだから遠慮なく行く。
「これを食べるか、ずっとオレの食事を見ている理由を言うか、どちらかを選ぶんだ」
「おい」
「でないともう金輪際食事中近寄らせないから」
剣呑な様子で、ナッシュはデーツに口をつけた。それはもう簡単に。
混乱の最中、あっという間にデーツは飲み込まれた。あっけにとられたオレを見て、ふ、と僅かにナッシュは笑った。
「もっと早くに呆れられると思ったがな」
はあ? と思わず出る。
「少なくとも、いい気分ではなかっただろ」
「アンタがそれを言うのかよ」
「断っておくが、理由を言いたくないわけじゃない。私自身がよく分かってないんだ。何故、お前の食事がこんなに興味をそそられるのか。全うに食欲か、はたまた」
そこはかとなく、マズい流れな気がしていた。でも、こんなに沢山話す旦那は初めてで、オレのことをこんな熱っぽくみる旦那も初めてで。
「性欲か」
気付いたら、首筋を噛みつかれていた。
「いっ・・・・・・!?」
生理的な涙が瞬時に溢れ、直ぐにでも離れなければという生存本能が呼び起こされる。だが、上半身はがっちりとホールドされ、下手に暴れれば傷が酷くなるだけだろう。抵抗できるのは口だけだ。
「だん、な。待っ、ぐあっ」
間髪入れず今度は肩口を噛まれる。邪魔と言わんばかりに上着を脱がされ、端から見れば情事の直前、しかも思い切り情熱的なそれだ。
「意味、わかんない、よ」
否。じくじくと疼く傷口が、快楽へと変貌してきたあたりで、俄に理解は進んでいた。この人はずっと、オレが食べる姿で、オレの味を想像していたのだ。酸いか、甘いか、絶望を知らないオレの舌を自分の代わりに使った。そして、行き場の変わってしまった「欲」を探していたんだ、と。
オレの味はどれになったのか。一昨日のスープか、昨日のアボカドか、それともさっきのデーツか。どれでもいい。この人に、何もかも失ったはずのこの人に、こんなに求められてるんだから。
ふたつめの咬み跡に、ナッシュの熱い息がかかる。まだ食べたいと、抱きしめられた腕が言っている。そんなに美味しいのだろうか。だったらオレも、食べてみたいな。
「いいよ」
もう片方が噛みやすいよう、オレは首を傾げた。
「と言うわけで、暫くカメラOFFでやるね」
コメント欄がちょっと沸く。
『王子の顔見に来てるのに~』
『怪我大丈夫?』
『とかいって鼻の上にでかいニキビできたとかだったりして』
「怪我はマジだから! 疑わないよーに。もー見せられないくらいひっどいんだぜ」
そう、見せられないくらい酷い。なんせ肩から首、胸、腕にかけてまで包帯がぐるっぐる。バストアップならミイラ男さながらだ。こんなの、絶対視聴者の前に立てない。
あれからもナッシュの旦那はちょこちょこ食事に顔を出す。相変わらず、一緒に食べることはしてくれない。その代わり、オレの方がちょっと変わった。
『なんか食べてる?』
性能の良いマイクは皿から摘まむ音も拾う。
「チョコレート」
『高そ』
『見えないけど高い』
『やっぱニキビじゃん』
『一粒で石油買える』
盛り上がる視聴者を余所に、隣に居る旦那へ顔を向ける。
「すっごい、甘いよ」
そう、これが「ちょっと」だ。