鼻歌が聞こえる。意識して歌っている、というより、無意識に出ているような、ちいさな鼻歌。新しいガジェットでも見てるのだろうか。それとも、友達と連絡を取り合ってるのだろうか。
聴いていたら、何となく眠くなってきた。母親にあやされる子どもみたいだ。不思議と嫌ではない。それほどに、この眠気は甘やかだ。
起きたら、きっと曲名を訊こう。そして、本物と聞き比べて、音程の答え合わせをしよう。全然違えば、笑ってやって、それから、それから。
おやすみ、と夢が言う。歌が私のためであると気付いたのは、ようやくその時だった。
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ナイシャールに行く、と伝えた時、ナッシュの旦那はあからさまに顔を顰めた。わかりやすくなったなぁと思う。
「死にに行くつもりか?」
否定ができず、笑ってごまかす。
「わかるだろ、アンタなら」
「・・・・・・うんざりするほどな」
その言い方が切なくて、勢いのままに抱きしめた。筋肉の強ばりこそあれ、その身体はどこもかしこも冷たい。嗚呼、人のために痛む心があっても、届く声があったとしても。
しんでいるんだな、この人は。
「もう、無理だ」
こんな気持ちは。
ーーー
ナイシャールに行く、と伝えられた時、ラシードの顔は微笑んでいた。いつまでたってもわかりやすい、大馬鹿者だコイツは。
「死にに行くつもりか?」
自分で言って情けなくなった。死にに行ったのは何処のどいつだ。
「わかるだろ、アンタなら」
「・・・・・・うんざりするほどな」
目をそらした隙に抱きしめられた。彼の脈打つ心臓が、止まったはずの身体にエラーを呼び起こす。殺したはずの正義、美しい未来の幻覚。
お前といると、いきているみたいだ。
「もう、無理だ」
こんな気持ちは。
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美しい芝の中にある、とある墓。その前に恭しくしゃがみ込む。
「今度、ナイシャールに行くことにしたんだ」
家のみんなには、アザムの用事に付き合うためだと伝えてある。間違いではないのだけど、もうひとつは例の組織の動静を探るためだ。昔関わった以上放っておくことはできないし、アンテナを張ってるとはいえ、一般人であるオレの耳に入ってくるのはよっぽどまで来ているのだろう。
「アンタはなんて言うかな」
下手に首を突っ込むな。今度こそ命を落とすぞ。馬鹿な真似はやめろ。うん、なんか耳が痛い台詞ばっかりだ。でも。
「行くよ」
アンタだって行くだろう。だからオレも行くよ。
アザムがオレを呼んだ。飛行機の準備が整ったらしい。さあ、ヒーローの次の物語だ。勢いよく立ち上がれば、いい風が舞った。
ーーー
「と言うわけでここに落ちてるのが外食の席でジェイミー・ショウの薬湯を浴びてべろんべろんになったラシードなわけっすが」
「この筋肉だるまが急にぶつかって手が滑っただけだからオレは悪くないぜ」
「あんだと?」
「ナメクジみたいになってるんだが」
「介抱してやってくれませんかね」
「コイビトだろ」
「はあ、他人だろうと道にぶっ倒れた酔っ払いは介抱するもんだ」
「お~や聴きましたお兄さん」
「お~う聴いた聴いた、この人誰でもいいんですってねぇ」
「お前らも酔ってるな?」
「ラシードの奴ったら『旦那は誰にでも優しいから』って寂しそうな顔してましてよ」
「・・・・・・それはお前だって」
「あり? アイツいなくなってるぜ」
「何!? おい、どこだ!?」
「若、車までもう少しの辛抱ですぞ」
「あ゛~。助かったよアザム。このまま一生ほっとかれるかと思った」
「このアザムがおりますでしょう」
「ははは、そうだね。うん、ありがとう」