「お、おお~」
自宅のリビングにある作品棚。そこに一点だけ飾られた虎の木彫りをみつけて、思わず感嘆の声が出た。勇ましい表情、逞しくも滑らかな導線を持つその身体。動物園で観た虎そのままの姿があった。
冴島は木彫りが趣味である。なんせ、脱獄真っ最中でも掘っていたとのことで。本人は当時のは強くなるためだとほざいていたが、俄かには信じがたい。クリエイターという人間の熱意は時に狂気すらある。昔、組のもので抗争がある度一枚画にしたいと云う男がいたが、厄介な証拠になるから止めろと叱るまでその目は爛々と輝いていた。
諸々さておき。慣れぬ仕事の気晴らしに誘った動物園が、本人にとっていい刺激になったのであれば喜ばしい出来事だ。
「やっぱりええなぁ」
しみじみ感慨にふけっていると、はたと気付く。もしかして、冴島をうまくコントロールできれば、俺の好きなものを掘らせることができるのでは、と。俺は冴島の作品が好きだ。抜くところは豪快に抜き、魅せる部分は非常に繊細に掘られたそれは、冴島そのものだ。可能であれば、もっといろんな作品が見たい。ふむ、と口角が上がる。思い立ったが吉日。俺はスマホを片手に計画を練り始めた。
その後、ちまちまと作品は増えていった。水族館で観たジンベイザメ。牧場で乗馬した立派な黒駒。自然公園の白鳥。偶然絡まれたレスラーとの喧嘩の様子などなど。しかし、計画は順調とは言い難かった。例えば、アクション映画。満足気な雰囲気だったが、作品にまでは繋がらなかった。他にも熊のサーカスだの相撲の試合だのに行かせてみたが、結果は失敗に終わった。
「あー、何が琴線に触れるかわからーん。次どないしよ」
「……相談ってもしかしてそれですか」
「せやで」
電話越しの大吾の呆れ声は正直うきうきしたが、目的は違う。打率の悪さを改善するため、冴島が寝室で寝たのを見計らってリビングでこっそりかけたのだ。
「でも、冴島さんに一番詳しいのは真島さんですし」
「やぁ今そういうのいらんわぁ」
「くそ、余計面倒になった」
「おうもっぺん言え」
大吾の言う通りではある。好きな食べ物に明日の服、ほくろの数、は知らんが――だからこそ悔しいのだ。俺たちは押しも押されぬ兄弟だ。知らないことはあるにせよ、わからないことはないと思っていた。ぶっちゃけもう木彫りはどうでもよく、冴島の心を揺り動かす方法だけが知りたかった。
「でも不思議ですね。熊とか冴島さんよく掘ってるのに」
「せやねん。アイツにしてみりゃ、しょっぼい熊やったんかのぉ」
「そうだったんですか?」
「いや、俺は見てへんのやけど」
確かその日は花粉がめちゃくちゃ多い日で俺だけ自宅待機していた。チンパンジーが重機を操作してたらしいで、と大吾に話していると、何やら返答がない。
「大吾ちゃん?」
「……真島さん、木彫りになってないのはその熊とアクション映画と相撲でしたよね」
「どないしたん。まあ、そうやで」
「アクション映画は真島さんもご一緒に?」
「いや、俺は先に一度観たから冴島だけ」
「相撲は?」
「そういやそれも……」
冷や汗がつうっと背中に流れる。まずい。非常にまずい。
「トドメ刺していいですか」
「アカン」
「木彫りになってる出来事は全部真島さんと一緒に――」
「おどれボケアホ! 刺すな! 刺すぞ!?」
「ど深夜に惚気られたんですから良いでしょうが! はーわかってスッキリしましたね! 俺もよく寝れそうですおやすみなさい!」
ヤケクソ気味に通話が切られる。思い切り投げたスマホはソファで軽くバウンドした。
わざわざ掘ることあるか!? カメラとか、もっとこう軽いのでいいんじゃないか!? ぐるぐると思考は巡るが、どうにも上手くまとまらない。作品棚をちらとみやれば、そこには俺たちのめくるめく思い出が……。
「いやどんだけ俺のこと好きやねん」
深い深いため息をついた後、よし、と膝を打つ。棚の空きスペースはまだまだある。こうなればいっそ、思い出をこの棚に溢れさせよう。大きなことも小さなことも、ふたりそのものを余すことなく型どってやろう。俺たちには今、その時間がある。有意義に使ってなんぼなのだ。
投げ捨てたスマホをいそいそ拾い、スケジュールを確認する。次の休日の欄に、ちょんとちいさな星が付いた。