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同担

「おう飯食いに行っ、わぁやわこぉい」

 扉を開けて真っ先に出迎えてくれたのは、足元をぬるりと通る猫であった。

 構えたばかりの冴島組事務所。目的は勿論そこの組長だ。大吾や四代目の力添えがあったとはいえ、いきなりの直系参上に異を唱える者がちらほら聞こえてくる現状。だが、東城会を強固にするためには冴島の力が必要だ。こうして己が顔を出すことで、ある程度の牽制になるだろう、というのが建前で、本命は兄弟を娑婆に慣れさせることだったりする。変化した神室町にいちいち驚く様は、まあ面白いが、流石に格好がつかない。こうして隙を見ては連れ出している次第だ。

 猫は俺の顔を見ながら甘えるようにひと鳴きした。ふくふくとした、愛され慣れた見た目だ。

「なんやまた拾ったんかいな。子ぉより多くする気か?」

「アホ。怪我しとったから一時的に診とるだけや」

 拾っているのと同義では、と思うだけにする。

 構えて日が浅いにも関わらず、組はすっかり猫の滞留所となっていた。世話をできる人も見つからず、増える一方らしい。元々神室町で生き延びてきたのだから、つぶさに面倒をみなくともよいとは言及している。だが、ほっとける人間なら今ここには立っていない、とも思う。

「まあええわ。はよ飯行こ」

「急用ができた。ちょお、ここで待っとれ」

「あん?」

 詳しく聞けば、組に入りたい奴が先ほどここの門を叩いたらしい。チンピラに襲われていたところを助けてもらい恩義を感じて云々。そういえば、冴島は外出には適さないフォーマルスーツを着ている。

「もー俺はらぺこやで」

「相当本気らしいんや。応えたらな。それに」

 すれ違いざま、頭を軽く小突かれた。

「猫より多くせんとなぁ」

 

 まだ新しいソファに身体を預ける。強い摩擦音が耳に痛い。

 ガキのような癇癪を起こしているのは承知している。組のためなのも承知。兄弟の性格も重々承知。その上でやはり、煩わしい。

 冴島とバッティングセンターで交えたあの日。嫌という程、俺たちはお互い力を失くしたことに気付かされた。ギラギラとしたあの頃に戻れないのかと、悔やみたくもない過去を悔やむ程に虚しかった。

 俺たちが惹かれあったのはお互いの強さだった。それがどうだ。俺は目の前を守るのに精一杯で、英気盛んだった筈の冴島は周りについてくことすら儘ならない。強くしたいと叫ぶばかりで、行動らしい行動はできずにいる。このままでは緩やかに死んでいくばかりだ。今俺たちは、見たくもなかった、情けない姿をお互いに曝け出しあっているのだ。

 恥をかくくらいならば、死を選ぶ方がましと思っていたはずだ。だが、ふたりはこうして傍にいる。じぐじくと進む腐敗を目の前にしても見限れずにいる。この甘えは、果たして傷の舐めあいなのか、それとも。脳裏に浮かぶのは、俺より先に逝った親父の顔。桐生一馬に負けた、あの背中。

 

 辛気臭い気持ちを振り払うために、机の灰皿に手を伸ばす。と、丁度先ほどの猫が机に上がってきた。滑らかな毛並みを撫でようとしたが、つんと冷たく頭ををそらされる。

「ありゃ」

 ねんごろになったと思っていたのは自分だけだったようだ。猫はそのまま向かいのソファの裏へと回ってしまった。可愛くないと思いつつも、諦めきれず追いかける。猫は床に落ちていたコートに身を潜らせ、しぱしぱと瞼を動かしていた。大事なのは、そのコートが普段冴島が来ているそれだということだ。

 恐らくは、スーツに着替える際に適当にソファにかけていたのだろう。このままでは毛だらけになるな、と思いつつも、俺は手が出せないでいた。それほど、コートに包まれた猫の顔の幸せそうなこと。柔らかい頭を擦り付けては、ごろごろと喉を鳴らしている。傍に飼い主がいるかの様に。

 はん、と笑った。悩みすぎた自分への自嘲だ。

 シンプルでいい。俺はアイツが大好きで、冴島も同じ。理由も言い訳もなく寄り添い合う野生の獣のような存在。

 当の昔に、俺たちはそこまで落ちている。

 

 扉が開く音がした。次いで、やつれた様子の冴島がぬっとやってきた。

「おお、早かったな」

 待ってから大体二〇分程度しか経ってない筈だ。即決だったにしては雰囲気が暗すぎる。

「アカンかった」

「なんや、今更怖気づいたんか?」

「ちゃう」

 ちらりと、鈍い目が俺の膝で座る猫に向く。

「……猫アレルギーやと」

 遠慮ない笑い声が事務所中に響いた。

 咬まれるまで、あと僅か。