「ほがっ」
新聞に載った字面を見て、銀時はあわや歯磨きをえずきかけた。「ターミナル内部にて密輸兵器爆破 過激派攘夷集団の仕業か」その見出しだけでも十二分驚嘆に値するが、彼の目を引いたのは記事本文にある人名だ。「主犯格は桂小太郎率いる攘夷志士集団とみられ」と、見知った名前に物騒な肩書がついていたのだ。歯ブラシをくわえたまま、銀時は死傷者の文字を急いで探した。どうやら桂とは別の攘夷志士がひとり捕まった他は、誰も被害なく終結したらしい。
脱力する身体が、万事屋の社長椅子にすっぽり収まる。耳に聞こえるのは、朝にふさわしい鳥のさえずりと、元気な子どもたちの笑い声。まるで事件なんぞなかったかのような日和の音。「馬鹿共がよ」と銀時は言いかけたが、口いっぱいに広がったイチゴ味の歯磨き剤が許さなかった。
坂田銀時が万事屋という仕事を初めて数年がたった。創めたばかりの頃は、いくらかぶき町とはいえ得体のしれない若造に仕事を頼む酔狂者も中々おらず、スナックお登勢にやってきた客へ半ば無理矢理に取り付けるのが常だった。そこから、ぽつりぽつりと玉石混交の評判が広がり、飢えない程度には仕事が来るようになっていた。
「こらアンタ、お房が起きちゃったじゃないの。ぼんやりしないで」
そう叱るのは、すっかり万事屋のお得意様になった履物屋の若女将だ。旦那とふたりで店を切り盛りしており、三つになったばかりの男の子と、最近生まれた女の子の世話が大変だという理由でよく依頼をしている。態度こそ悪いが、なんでもそつ無くこなす銀時を女将は気に入っていた。今日も今日とて、彼の背にお房という名の我が子を任せ、自分はせっせと店内の掃除をしていた。
一方の銀時は、今朝の新聞を思い心ここにあらずといった様子である。よく知った名前を新聞で見たのはこれで二人目であった。何をやっているんだ。終わったんじゃないのか。そんな急き立てるような恐怖が彼を襲い続ける。
今日の依頼が軽口の叩ける馴染み先であったことが、銀時の気持ちを柔く救っていた。
「へぇへぇ。ねんねしようなー。ねんねんころりよ、お前のとーちゃんはリエ子ちゃんとねんごろよ~」
「お給料出さないよ」
「尻に敷いてるようでなによりだわ。つか、旦那さんは? マジでねんごろ?」
いつもなら女将のそばで淡々と仕事をこなす旦那の姿がない。寡黙だが、人情味のある男で、初めに万事屋へ電話をかけたのは、女将でなく旦那のほうだったことも銀時の印象に深く根付いている。目立った稼ぎ時ではないにせよ、仕事を置いて出ていくなんてことがありうるだろうか。そう銀時が思っていると、女将は顔に影を落としていた。
「今朝の新聞の、捕まった攘夷志士っての。あの人の親友の弟でね。昨日の夜電話があって、たぁ坊が、なんて言って飛び出しちゃったのよ」
銀時は二の句が継げなかった。継げた所で、謝罪以外のことばがみつかるとは考えにくかった。
女将がすべてを察せる筈もない。彼女は、攘夷志士という世間から恐れられる存在に、彼もまた恐怖しているのだろうと結論付けた。そしてつとめて明るく
「さあ、旦那がいない分、いつもの倍働いてもらうよ」
と言った。
旦那は店じまいになっても帰ってこなかった。頼まれた時間分は働いたが、大変だろうと銀時は夕餉の準備を買って出た。殆ど衝動的な申し出ではあったものの、給料にオマケはなしを条件に女将は了承した。
「ホント、ぼんやりした顔のわりに手際いいわねェ」
大方出来上がりに近いところで、女将が厨房を覗き込む。
「ぼんやりした顔は余計ですぅ」
「はいはい。そろそろお房貰いに来たよ」
半日近く銀時の背にいたお房に、女将は優しく腕を回す。名残惜しいのか、離れ際小さな手が銀の房を引っ張った。遠慮しらずの痛みが、銀時には心地よかった。
「じゃ、あとよそうだけだから」
「今日はいろいろありがとうね。はいこれ」
「まいど」
給料の入った封筒を懐に入れ、また御贔屓にの挨拶をするだけだった。しかし、赤ん坊を抱く女将の顔を見て、定型文は霧散した。
「旦那さんに会ったら」
赤ん坊の頭を撫でつつ、静かに言葉が続く。
「目の前の一番大事なもん、見失うなよって、言っとくわ」
月が照っていた。警察署を出た銀時は、それを見て苦々しく目を細める。
日の当たる場所は全て探した。後は、鼠も逃げる裏道のみ。
(陰気くせェのは嫌いなんだよ)
襟を正せば、赤ん坊からすっかり移ったのであろう母乳の匂いが辺りを包んだ。血とは一色異なる甘い香りが、魂を決起させる。よし、と呟くと、白金は闇夜に消えていった。