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もうとっくに愛

 ベッドで目を覚ますと、外はうっかり明るくなりかけていた。漫画だらけの本棚。投げ捨てられた謎文字Tシャツ。「PAUSE」の文字を映す、省エネルギー状態のテレビ。小さなガラガラ。全てが淡く白く照らされている。知っている部屋のはずだけども、まるで森林の奥地にいるかのようで、なんとなく不安だ。体内時計は、朝の五時半。最後に見た時間は、確か二時くらい。クリアするまで徹夜だ! なんてふたりで意気込んでいたが、結局俺だけ睡魔に負けてしまったらしい。昨日はほのかの買い物に付き合ってからこっちに来たし、仕方ないだろう。

 耳を澄ます。この部屋ふくめ、家の人が動いている気配はない。枕を共にしていた携帯を開く。自分の体内時計の正確さを褒めつつ、ぬるぬると文字を送る。

 ヴ、と返信の軽い振動。

《行き》

 よし。ゲームの中で頻りにカレーパンを推してたから、空腹も相まって我慢できずに買いに行ったんだろう。単純で助かる。

 今の気分そのままを返信する。

《チョココロネ》

《殺す》

《こーひーぎゅうにゅう》

《甘党か?》

《テンキューよろしく~》

 ぽい、と枕わきに携帯を投げ捨てる。追加の振動はない。それがどうにも可笑しくて、毛布を被ってくつくつと笑ってしまった。

 

 敬愛するセンパイ方が卒業して数か月。晴れて高校二年生になった男鹿を待ち受けていたのは、後輩たちからの熱い、そして篤い尊敬だった。ここら一帯で子連れ番長の名を知らない者はいない。入学式早々「舎弟になりにきました!」なんて言って貢物(どこから聞いたかコロッケが多かった)片手に屋上へやってきた子がわんさかいた。沢山現れた山村くん亜種に男鹿はどうしたかというと、特に嫌な顔もせず、あんまり意味なく騒ぐなよとだけ彼らに送った。肯定とも言えるし、否定とも捉えられる返答だが、その責任ある内容を聞いて、俺は嬉しくなった。

 元から、責任感が強い奴だとは思っていた。自分に言い訳していた小学生時代も、三木の件も、ベル坊だってそうだ。その気になれば乱暴に放棄できた数々を、男鹿はいつも自分の事として被ってきた。面倒だなんだと言いながら、いざ見捨てた時に心を一番痛めるのは本人なのだ。

 後輩の一件は、これまで不器用なことにしか向けられなかったその鋭い矛先が、上手く世界へ広がった証とも言えた。

 ひとつ、今回の事象に難点をあげるとすれば、彼らの篤すぎる舎弟精神だろうか。

「男鹿さん、腹減ってないですか⁉ 俺買ってきますよ!」

「男鹿さん、今からカチコミですよね! お供します!」

「男鹿さん、俺一度あんたに殴られてぇんスよ。腹に一発もらえたら最高の思い出になるんで、お願いします」

 とまあ、こんな塩梅で。度を過ぎたものに関しては、助けを求められることがままあった。俺の努力の甲斐あってか、今は沈静化してきたものの、男鹿が一言いえば、あいつらは地球の反対側まで飛んでいけるだろう。

 

 そんなみんなの憧れの男鹿さんが、早朝からコンビニへパシリ。やれ愉快。もし偶然にも後輩と出会ったら、そして事実を知ったら、ぶっ倒れるんじゃないんだろうか。あの男鹿さんが、パシリ⁉ って。一応、俺も尊敬の対象っぽいので、男鹿が幻滅されることはないだろうけど、どうだろうな。流石は智将! なんて感じになっちゃうかも。実際、俺が男鹿につっこみする度どよめいているし。うーん。女子からならあり。

 ぼんやり考えていると、玄関を開ける音が聞こえた。

 目を瞑って、階段の軋みを逃さず耳に入れる。あと三段、あと二段。

「ふーるいちーぃ?」

 ウェルカムチョココロネ。君のために起きよう。

「お前いい度胸して」

「大きい声出すと美咲さん怒るぞ」

「あ⁉ やべ」

 ベッドに座って、まだ警戒中の男鹿を横目にレジ袋を確認する。ちゃんとチョコスプレー増量のやつだ。えらいえらい。

「よし……おら、ちゃんと金寄越せよ」

「おう、あんがとー」

 まあ、しばらくはこういうことも控えてやろうかな、と思う。こいつなりに後輩には恰好つけたいだろうし。ダチとして応援してやるつもりだ。

「何ニヤニヤしてんだよ」

「別にぃ?」

 精々、アホな姿は俺の前だけにしとけよ、と思った瞬間、また可笑しくなってしまった。

 

 だって、まるで覚えたての恋のようじゃないか。