「千空ちゃんは、本気出せば惚れ薬とか作れちゃいそうだね」
研究室にて蒸留を始めてから三十分。隣に腰かけて別作業をしていたゲンが呟いた。手は真面目に動かしたままで、よくそこまでくだらないことがでてくるなと思う。まあ、『惚れさせ薬』なんて冗談ほざいていた俺が言うのも何だが。
「あー、そうだな。フェネチルアミンっていう脳内の恋愛物質と似た物質を使ってバグらせればワンチャンあるぞ。材料聞くか?」
「ジーマーなの出てきちゃった。止めて止めて。よく分かんないと思うから」
法に触れてそう。ゲンはそう言い捨てて口を閉じた。
一滴落とせば、ビーカー内に想定通りの反応が出た。上手くできたようだ。あとは三分程度放置すればいい。安心したのも束の間、ゲンが俺のほうへ膝を向けていることに気づいた。設計図に分からないところでもあったか。何だという意味合いで向き合うと、ぱっとゲンは笑顔を張り付けた。まずい。
ずい、と眼前に突き付けられたのは、試験管だった。
「さぁて御覧じろ。ここにありますはタネも仕掛けもない、カセキブランド一級品の試験管!」
視界の右から左へ、中央を摘ままれた試験管が移動していく。空っぽのガラスは、作業で少し黒くなったゲンの手を温く透かしていた。根っこまで染みついた「魅せるため」の所作と、子どものような汚れとの画が――気になった。
ゲンは空いた手で飲み水を入れていたボトルを持った。そして、水を試験管の中に並々と注いだ。
「このように水を入れまして、はい。これに呪文を唱えるだけであら不思議。どんな純情堅物クンも一瞬で恋の魔法にかかっちゃう惚れ薬ができちゃいまーす」
「ほーお」
「おっと、そこの純情堅物科学大好き少年クン。信じてないねぇ?」
成る丈空返事を目指したが、逆効果だったらしい。難易度が高いほど燃える質だったか。そりゃそうか。その分、驚かせた時の快感がでかいもんな。
試験管の口を塞ぐように、細い手が翳された。
「1・2・3、はい!」
合図とともに花びらが三、四枚散った。そして、試験管に入っていた水は、あっという間に真っ赤になっていた。
「じゃじゃーん、熱烈な恋、赤い薔薇の惚れ薬ってね!」
三分の放置が終わった。横目で見たビーカーは、どんな摩訶不思議な惚れ薬よりも唆る色をしていた。あまり待たせてもいけない。であるなら、このショーもお開きにしなきゃな。
「血糊袋の果汁」
「あら?」
「並々に注いだのは、微調整がきちぃ水かさを誤魔化すためだろ? 半分果汁と差し替えた水は……その隠してる腕の裾、見せてみろよ」
「う~ん、ナイス羞恥プレイ」
タネがバレればそれで御仕舞い。そう考えていたが、ゲンの表情は完全に諦めたそれではなかった。寧ろここからだと、上がった口角が物語っている。軽く慄いていると、ゲンは惚れ薬入りの試験管をさっきと同じように突き付けてきた。
「実はねぇ、もうひとつびっくりすることが起きちゃうの。底の部分、よ~く見てて」
往生際が悪い。が、もう一度見破ってやればいいことだ。また色の変化か? この果汁の成分で考えうるは――
キン、と高い音が聞こえた。
眉間のあたりに、温い水が流れる。試験管の水だ。底に視線を誘導させ、注ぎ口を弾く指から注意を逸らした。
ここまで導き出せたというのに、俺はまだ混乱していた。だってこれは、どんな純情堅物だろうが一瞬の、惚れ薬。
「あは」
目が合った。
「かかっちゃったねぇ」