刹那、雑踏の声が止む。今、明確な変化を察したのは俺だけだろう。愛想よくこの席に珈琲を持ってきたあの若い店員も、業務について真剣に話す横の会社員も、てんで気付いていない。あの席の男、急に不愛想になったな、と思うくらいが関の山だろう。実際は元がへらへらし過ぎているだけなのだが。
煌びやかな午後の光に負けない金があった。
「旨そうだったから押しのけてきた」
「そりゃあいい」
奴にはこの味は分からないだろう。ついでに言えば、こんな御大層なテラスより、レッド寮の寂れた食堂の方がお似合いだ。
ゆっくりとした所作で、一口が消える。いい姿だ。思えば、こんなすこぶる平和なタイミングで現れることが微々だが増えた。前は、何かと戦ってボロボロになった時とか、とんでもなく落ち込んでいるとか、奴が闇を必要とした際にしか顔を見せなかった。随分丸くなったものだ。まあ、それがいいし、それでいい。ひとりやふたり、苦言を出しそうな顔は思い浮かぶが、いざとなったら縛ってでも止めてみせよう。それが傍にいる俺の役目だ。
「何を考えている」
「ビニール紐で間に合うかどうかだな」
「……? 冷めるぞ」
こだわりの味を楽しむ。更に洗練されたように思うのは、営業努力かはたまた。そんなことを考えていたせいか、十代がこちらを熱っぽく見つめていたことに気付かなかった。
「……何を考えている」
「鎖でいいか?」
「いいわけあるか馬鹿」
美しいと思うのだがな、と半分本気な体で言うもんだから急に寒くなった。その物を用意すべきは俺の方かもしれない。
「戻るのか」
カップは空になった。店もまた次の繁盛の時間になってきた。
十代はただ深く目を閉じている。日和の最中に出てきた際は、決まって直ぐに意識を奴に返そうとする。それが、俺にとっては少し寂しかった。
「案ずるな」
「だが……」
瞼を落としたまま十代が笑った。幸せそうだ。幸せそうだというのに。
「そう贔屓にすると、奴が不貞腐れるぞ。」
「丁度いい薬だ」
「ふふ……。何度でも言おう。案ずるな。今はこれで満足なんだ。いつか、この欲が溢れた時、俺の手で攫ってやる」
「自惚れが」
「そうか? この瞬間も存分に感じるぞ。愛されている、とな」
また、声が止んだ。
金色は闇に戻っていく。たった一杯の珈琲で。あいつの言うように、今はこの程度でいいのかもしれない。あいつはこれまで人並みの幸せなんぞ知らなかったのだから。ちょっとずつ、器を大きくしていけばいい。
「……不貞腐れてねーし」
目覚めた十代からの第一声がそれだった。思い切り不機嫌じゃないか、とからかいたくなったが、抑える。ここの支払いは珍しくこいつだ。
さて、この曲がった臍をどう戻そうか。そもそも、普段から贅沢している癖に簡単に変わり過ぎだ。まあ、手を繋ぐくらいでいいだろう、と結論付けた自分自身に笑った。全く、自惚れは俺の方か。