万丈目の反応がつまらなくなった。久しぶりに帰ってきても、まるで昨日俺が出ていったみたいにそっけない。驚かせば、うるさいとだけ返ってくる。好きだのなんだのと言ってみても、照れもしなければ怒りもしない。風のない海面を見ているような気分だ。元々、順応性は変な方向に高いから、俺の扱いに慣れたってことなんだろうか。ああと言えばうんと返ってくる今の関係は気楽になれる。けれども、やっぱり物足りない。縛りがあればあるほど、逆転の一手に燃え上がるのが俺たちの性だ。そんなわけで、思いつく限りの行動をしている。今日もフィールドは、リビングのソファ。
「なあ、サンダー」
「珈琲なら自分でやれ」
「……へーい」
レギュレーションは二つ。一つ、マジで怒らせることはダメ。前に本当の本当に冗談で「別れよう」と言ってみたことがあった。その時、万丈目は俺の荷物から合鍵だけ抜き取ると、「冗談でも不愉快だ。出ていけ」と冷たい声で突き放してきた。あの日降り注いでいた雪よりずっと身が凍えた。今でもトラウマになっている。
二つ。喜ばせること。照れてる顔も好きだし、怒鳴ってる顔も好きだけど、一番は嬉しい顔だ。レア中のレアで、滅多に見られることはない。だから絶対のルールだ。
お湯を注げば、惹かれた豆はぽこぽこと盛り上がった。『食後いつも淹れてもらっているからたまには俺が先にやって万丈目にっこり』作戦は失敗だ。ユベルの「くだらないね」という声が聞こえる。じゃあ良いヒントくれよ。
「ボクが君とあいつの仲を取り持つとでも? 寧ろどんどんこけてくれればボクがにっこりさ」
片割れは相変わらず厳しい。
出来上がった珈琲を、カードと被らないようにして机に置く。丁寧に種類分けされたカードの中には、見たことのない新しいものもあった。
「墓地から三枚選択して、内二枚を……。へー。これどう使うんだ?」
「お前勝手に。はあ、例えば、墓地にこのモンスターがいて、手札にそれとこいつがあれば」
「うわっ、鳥肌たった。すっげー! 流石万丈目!」
除外された場合にこの効果が発動して、エクストラデッキからアイツが、なるほどな。違う。俺がにっこりしてどうする。今こそチャンスだろ。
「万丈目のデュエルってさあ、ワクワクするんだよな。やっぱり、すげぇ好きだぜ」
「そうか。後で試したいから相手してくれ」
穏やかな波の音が聞こえる。持っていたコップを落とさなかっただけでも褒めてほしい。今回も敗北か。デュエルでは俺が勝つだろうけど、そうじゃないんだ。
苦く作りすぎた珈琲をすすりながら、横顔を見る。効果を読むその目は真剣だ。頭の中では、他の奴じゃ思いつかないコンボが組みあがっているんだろう。プロとして、みんなの期待を一身に背負って大舞台で戦い、そして必ず応える。そんなかっこいい万丈目だって大好きだ。大好きなんだけど。
「なぁなぁ」
「ん?」
「好きなんだよ……」
「俺もだぞ」
「あー、もう……。じゃあ、デートとかさぁ、しようぜ、デートとか」
手を急に握られた。さっきまで大事にカードを持っていた手で。嘆きと共に床に落ちたのはおじゃまイエローだった。
万丈目の顔は、俺が待ち望んだ顔だった。
「お互いのデッキを裏返しに」
「天変地異か?」
「天変地異だ」
万丈目は、調整していたデッキを手早く片付けた。そして、少し冷めたであろう珈琲を一気に飲み干すと、俺を見てとびきりの笑顔になる。
「そうかそうか。デートか。お前の口からなぁ。ふふん、成長したんじゃないか? ま、仕方ないから付き合ってやろう!」
意気揚々、と言ったところか。そんな嬉しいものなんだろうか。だって、今だってこうして俺と二人きりじゃないか。ただ、今までの経験としてこれを言ったら絶対に怒る。沈黙は金、何かが銀。俺だって成長しているのだ。
うんうんと考えている間、万丈目はお着替えしてきたらしい。自慢げに新調した眼鏡をきらりと光らせた。よく似合ってるな、と思う。
「さて、貴様のことだからどうせどこに行くかなんて決まってないだろう! 俺様についてくることだな」
さっきの静けさが嘘のような起伏だ。ま、たまにはリビングのソファ以外で時間を過ごすのもいいかもしれない。何よりも、今日はもっと楽しくなれそうだ。プロでも、何でもない、俺だけの万丈目の顔が見られるのだから。
早くしろ! なんて急かす声が聞こえる。俺は、床に落ちたカードを机に戻し、適当にかけておいたジャケットに腕を通した。