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保留案

 

 

 

 わいわいとした楽しそうな声は三階に上る階段にまで届いていた。教室の扉を開ければ、斉木さんが座る席の周りに大方想像通りのみんながいた。次の土曜日に遊園地、という話題のようだ。最新のジェットコースターの風を感じたい、お化け屋敷で度胸試しだ、観覧車で二人きり……。思い思いの考えが飛び交う中、燃堂がするりと主役を奪う。
「相棒は何に乗るんだ?」
 目線が斉木さんに集まった。斉木さんは、ゆっくりと考えた後で、短く答えた。嘘のように押し黙っていたメンバーは、それを聞いてまたわっと盛り上がる。意外と乙女チックだなぁと燃堂は心底面白そうに斉木さんの頭を撫でた。制御装置のないその頭は、さぞ撫でやすいんだろうな、と思う。

 斉木さんが心から望んできた平凡な日常は、まだちょっとだけ非日常だ。今までできていたことが急にできなくなったのだから当たり前だ。俺らで言えば、腕を急に失ったことと同等なんだろう。義手なりで替えはきけるけど、どうも使い慣れない。多分そんな感じ。そのくせ、今でも人の嫌なところは全部知っていますという顔をよくするものだから、やっぱりあの時の予想通りだ。
 帰り道。ひとりかい、と見知った霊が語り掛けてくる。斉木さんはぞろぞろとファミレスへ連れてかれた。今日は六時にアニメの最終回だ、とどのつまり、どこにも誘うなと朝に釘を刺されていたが、他の奴には言ってなかったのだろう。強引に手を引かれていった斉木さんは、「やれやれ」と考えている顔だった。そんなとこ、と霊に返すと、車に気を付けてと笑顔で去っていった。
「静かだなぁ」
 すっかり暖かくなって、こんな日は寺にのら猫が沢山いたんだろうなと思う。……それを餌に新入生を釣ろうかな。女っていうのは大体動物好きだから。きゃーかわいい、なんて。何だったら犬もいるし。また来てもいいですかセンパイ、とか。
「待てよ」
 静か? どうして俺はそんなことを?
 学校はいつものように盛り上がっていた。さっきの幽霊だっていた。だけど、静かってどういうことだ。無意識の言葉。フロイトの心理学。言い間違いには潜在意識が云々。こんな時、そういう事ばっかり詳しいんだなって台詞が……。
 そうか、と思考がまとまった。

 脳に直接聞こえてくるあの声。耳から届くのとは全く違うあの声。俺に投げつけられるのは暴言だらけ。やれクズだの、変態だの、覚悟を決めろだの。斉木さんの言葉が結構汚いことを、あいつらはいつ知るんだろうか。ゆっくり、超能力が無くなっても平気になったタイミングで、俺たちが腕を失っても戸惑わなくなったくらいのスピードで、斉木さんは出していくのだろうか。その日から、あの人の日常は始まる。自分を隠していたことを過去にして。
 ねえ、斉木さん。聞こえませんよね。俺、マジで怒った時もあったんですよ。アンタいつも俺の恋路邪魔するし、肝心なこと言ってくれないし。でも、大切なところでは助けてくれた。
 超能力と霊能力。同じ能力って言葉がはいっているわりには、あんたのほうが贔屓されてましたよね。つか、俺の力の上位互換なやつもあったけど。ずりぃな、とか、やることねぇな、とか思ってました。
 でもね、俺、結構楽しかったんですよ。
 ねえ、斉木さん。
「……はーあ、良かった」
聞こえなくて。

 今日も桜が満開だ。だけども俺は最高に憂うつだ。あの子もあの子もあの子も、既に彼氏持ちだったとは。最近の子は乱れてる。そうだ、斉木さんに言おう。手土産もないのは寂しいから、適当にこの老け顔の一年でも持っていこう。今の斉木さんは、急に話しかけるとびっくりするから、なるたけそっと触れないと。
 斉木さん、今空いてるかなぁ。そう呟きつつ、俺は沈んだ気分がちょっとだけ軽くなったのを心の遠くで感じていた。